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海と下松

 下松市政80周年行事として、~古代、中世から幕末、近代までの下松の海に関する資料を参考に、山口県文書館の金谷 匡人氏による講演会が、下松歴史研究会主催で行われ150人が参加した。

 下松港は天然の良港で今でも台風時には数十隻の大型船が避難停泊しており、昔から海上航路のパーキング、サービスエリアとして利用されていた。

 発表を要約すると、

● 海に面する宮洲古墳(4世紀)

都濃国造やヤマト政権の強いつながりを示すが、当地の海上交通の拠点として被葬者はと豊井辺の中心人物であろう。

● 降星伝説

白村江の敗戦(663年)後、倭軍は百済の亡命貴族を伴って帰国し、海を渡って来た百済人の一部多々良氏が下松に住み着き妙見信仰を伝え「琳聖太子」はこの歴史を踏まえて後年創作された。

● 南北朝時代 1389年

大内義弘は将軍足利義満を下松の泊に迎え領内を案内し歓待した。

● 鹿苑院西国下伺記

あま乙女しつはたをらぬくた松も波の白糸よりやかく覧
大内を立て夜半ハカリニ下松にはやつく、かまどの関から下松にはやつき宮の州へ御着。

● 秀吉の九州出征 1585年

毛利氏下の冷泉氏は大内弘世の五男を始祖とし、豊井、末武に領地をもっており、秀吉より「下松船」を用意させられている。
天正年間の検地で下松41石とある。

● 下松と船出組 慶長12年、1607年

山縣氏、下松に所領をもち「警固役」をつとめる。

● 下松藩成立(元和3年)1611年

背景には海上交通の利便性、下松藩の船倉は下松町東にあったが天和3年には遠石町に移る。

● 西遊雑記(古川古松軒)天明3年

島田村より久多松村迄は塩浜数万町、地の利至って能き所。

● 西遊旅譚(司馬江漢)天明8年

室積を出て松原を通り戸永(とえい→とよい)という処に磯辺という宅あり。

● 筑紫紀行(吉田重彦、享和2年)

魚が緑村をすぎてくだ松の駅にいたる(島田より二里)一里あまりの入海の辺なり。ここより二丁許此方に豊井と云う塩浜あり。町屋二筋あり本町と云う所に蔵造り瓦葺の家多し。石橋も掛り問屋、商屋多しとある。

● 続末曾有記(遠山景晋 文化元年)

笠戸と云う泊所の右に「宮の州」として海にさし出、列樹如剪、風景可賞「駿の三保も是にしかず」
管松(下松)の里も有由なり、笠戸を右に見送り、ひふら岬に沿て南に豊後の姫島も見ゆ

● 日本九峰修行日記(野田家光陰 文化八年)

櫛ヶ浜、金正院を出。クダ松という宿迄一里送り、クダ松東船大工町の又左衛門と云う宅に宿す

● 薩陽往返記事(高木善助 天保4年)

暁六つ時室積出船、笠戸をすぎ管松といふて双方出崎ある入海の磯辺に塩浜多し、西風の為 笠戸の鷹の巣といへる湊に船を留め、月出で船を走らす

● 朝鮮通信使

江戸時代、11回にわたって瀬戸内海を往復した通信使は第1回慶長12年から、3,4,5,6,7,8,9,10回の延享5年迄において宮の州笠戸深浦に寄っていることが確認されている。

今治

 

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