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白坂山と高鹿垣の戦い

下松に於ける千年の歴史の中で最大の戦いは、正平七年・観応三年(一三五二)大内弘世が下松の豪族鷲頭長弘を攻略したときであり、その第二が毛利元就による下松侵略です。又昭和二十年の日石等への空襲もありますが、その舞台が下松市域内を中心とし、かつ長期互角の戦いであったのは、この弘世の鷲頭侵略が最古最大です。
 陶氏という有力な一族を富田保に配し、下松攻略の前進基地としていた大内弘世は、ついに兵を進めて白坂山に陣取り激戦を展開いたしました。ついで高鹿垣(茶臼山)を攻撃したため、内藤藤時は領地内の末武域から馳せ参じ応戦しています。
 つづく同年二月十九日新屋河内真尾(現・光市浅江河内殿山・丸山住宅附近)の進撃では、内藤藤時の弟盛清が討死しています。三月六日弘世は父弘幸病死のため兵を停止しますが、再度三月二十七日右の真尾に戦い四月九日に至って白坂山に重ねて進撃を行い同二十九日まで激戦が続いています。その後秋八月三日の合戦記録を最後に下松の豪族鷲頭氏は敗戦に至ったらしく戦乱は終わりを告げています。
 以上は「萩藩閥閲録」所収の史料によって紹介しましたが、私は旗岡山も茶臼山と白坂山の中間に在り又4人塚が存在することからこの折の古戦場と考えています。

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