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神棚について思う

無神論者と任じている私は自宅の神棚に向い何度かお祈りをしたことがある。親や兄弟、子供の安全や病気の治癒に手を合せた事を思い出す。昔は各家庭に、神棚が高い所に南東に向って祀ってあった。我々の先祖の神様は大自然(太陽・山・月・滝・岩石・巨木・泉)に多くの神が宿っていると思い信仰していた。

島国で四季のある日本では、風雪・雷・地震・津波・噴火・土石流と、大自然におののき、災害や病気を鎮めて欲しいと思う気持が、神様、神棚、八百万神に集約され、お祈りをする風習となったのだろう。最近の新家庭には神棚が見えない様だと、四方山話の中で話題になった。

原因を考えてみた。

(一)戦後の教育(GHQ進駐軍の指導)の中で、神社についての教えを禁止した。

(一)核家族が進み、親から子之の伝達がなくなった。

(一)国民教育や知能が上がり、合理的に判断するようになった。

(一)すべてに恵まれ神頼りの必要がなくなった。

だが、新年の初詣は、近くの神社にお参りをする。これは神頼みではなく、皆が行くから私も行く、そんな事なのだろうか。

人間は弱い動物である。肉体的、精神的に弱みが出た時に、何かに頼ると安心する、これが信仰であり、神頼みと思う。神棚は各家庭にあれば、拝むだけで一まず精神がやすまる筈だ。

高が神棚、されど神棚。

T.T