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台湾の幼稚園発表会

約75年前、少年時代の覚え①(大東亜戦争 昭和16年~20年)

 大東亜戦争をくわしく知る人も少なくなった。戦記などの本は沢山あるが、一般市民の生活を知っている方々も僅かとなってきた。

 私はラジオのニュースで戦争が始まった事を知ったのは、幼稚園年長の5歳だった。
 当時を思い出すと、父が開戦に興奮していたのを覚えている。当時台湾の台北市に住んでいた我家は、命令によりガラス窓に障子紙を細かく切り網目状に、小麦粉のノリで貼つけ爆風でガラスが飛ばないようにした。(現在は飛散防止フィルムがある)台湾は外地なのと、フィリピンのアメリカ基地に近いからかと、今になって考えられる。当時小さかった子供に対し父親は、戦争は鉄が大切だから、古釘や古鉄は集めなさいと真剣な顔で話してくれた。ある日、幼稚園に行く途中、防空訓練に出合い道路の側溝に避難しなさいと言われ、かがんでいたら「いつ迄かがんでいるの」と、さっきのおじさんから言われ、「子供は何も知らないから、終ったら終ったと教えてくれんと判らんじゃ」と文句を言った。初めての防空訓練、サイレンでの開除などほとんどの人は知らなかった。

坪郷

(左)台湾でのお正月、着物を着ている (右)兵隊さんと日の丸を持って

(左)台湾でのお正月、着物を着ている (右)兵隊さんと日の丸を持って

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