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東京 1年生の遠足 豊島園に

約75年前、少年時代の覚え②(大東亜戦争 昭和16年~20年)

 台湾には台湾軍という日本の軍隊があった。陸軍の兵隊さんが行進しながら、「あ~あ~元(ゲン)として台湾軍」と軍歌を歌って行進をしていた。当時兵隊さんは市民から敬われていた。父親から「軍馬の飼料に、お茶殻を集めて届けては」と言われ、当時3年生の姉と1年生の私と数人の友達と一緒に各家庭にお願いし、茶殻を兵隊さんの所へ届けた。兵隊さんに頭をなでられ嬉しかった事を思い出す。台湾の南門国民学校は日本人のみの学校だった。校内に大プール(高学年用)小プール(低学年用)があった。戦争の為、小学校を5度転校したが、プールのある小学校は国内にはなかった。
戦争が激しくなるのを察知し、父親は会社に内地への転勤を願い、内地に帰る事となった。戦時中とはいえ、ほとんどの荷物を送る事が出来た。父親は「応接セット・釣り竿・蓄音機これだけは贅沢品だから送らないよ」と言った。当時戦時標語で「贅沢は敵だ」があった。荷物の中に日本では少なくなっていた、砂糖が入れてあった。東京での生活に少しは潤いをもたらした品ではあった。

坪郷

台湾での家族写真

台湾での家族写真

東京 1年生の遠足 豊島園に

東京 1年生の遠足 豊島園に