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当時の群馬県の農家の囲炉

約75年前、少年時代の覚え④(大東亜戦争 昭和16年~20年)

~学童疎開~

 戦争も段々と激しくなり、東京も空襲の危機がせまり、足手まといの子供達は田舎へ疎開させる事が政府で決まった。小学三年生から六年生の子供達が選ばれ、田舎のお寺や旅館へ学童疎開をした。私達は群馬県利根郡上牧村の旅館へ御厄介になった。利根川のほとりの温泉宿で最高の環境ではあった。食事は田舎といえど東京と変らず、逆におやつなどもなく、いつもお腹を空かしていた。御飯の中に大豆の搾りかすや、カボチャやサツマイモが入っていた。量も少なく味噌汁にもカボチャ、漬物もカボチャと今では考えられない献立だった。

ヒマを見つけては田にしや、畔にあるノビル(ネギに似ている)などを焚火で焼いて食べていた。ある時、上級生が「農家に手伝いに行けば、何か食べさせてもらえるかも」と言った。農家にお願いし少し手伝ったが、農家のおじさんに「もういいよ」と言われ、白米のおにぎりと甘柿を貰った。あの時のおにぎりの味は今も忘れられない。運んだ稲束、一度に二束は、小学三年生ではとても重たかった。

坪郷

当時の群馬県の農家の囲炉

当時の群馬県の農家の囲炉