石津家は熊毛郡の旧大和村塩田(光市塩田)で江戸時代初期から勘場医として医業に従事し「祖先は波多野姓」で都濃郡切山保(下松市切山)の領主であったと伝えられ裏付けとなるものを代々継承している。
家宝の古文書「御判物」は「萩藩閥閲録」や「防長風土注進案」などに記載も残っており、室町期から江戸初期に書けて(文亀元年、1501年から慶長末年1615年までの114年間)大内氏、陶氏、毛利氏と移る激動の時も、切山保内に領主として20石の知行領地を有し在住していた。
御判物とは主家たる大名の花押(御判)が記された文書であり花押は今でいう直筆のサインが実印に相当する。
御判物は12通あり大内時代の永正3年(1506年)から毛利の天正7年(1579年)に至る73年間、16世紀の文書で、今から512年前のものである。
切山八幡宮には祖先が正長元年(1428年)に御輿を寄進している。
家紋は「切竹に五枚笹」
今冶