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徳山藩最大の酒屋 伊豆屋

「藩史」のうち「御領内酒屋中天明七未年酒造翌申二月現酒造究書取帳」に記載される、徳山藩内十二ヶ村三十七軒の酒屋(当時は酒造元を酒屋と呼び販売者はあげざと呼んでいました)の内徳山の国弘・富田の道源を抜いて天明七年(一七八七)には最大の石数を有する伊豆屋五郎右衛門が中嶋町にいました。
私が現在所有する諸蓋(もろぶた)には中嶋町伊豆屋什物、天保十?年、下松伊豆屋清助二百?拾枚内安政?卯正月と記されており、少くとも安政年間頃まで酒場は続いていたことが明らかです。又「御領内町方目安」(一七四一)には醸造元として中川原町に中島屋喜右衛門の記載がありますが、これらの屋敷がどこであったか判然といたしません。中河原町(現・中島町)は東西街の長さ四十七間道幅二間五尺と狭く、おそらくこれらの酒屋は、同一場所ではないでしょうか。即ち中島屋から伊豆屋へ移譲され、のち岩山家の有となり、更に昭和になって後医院が建ったと考えています。中島町は切戸川と玉鶴川に挟まれたわずかな処で、さほど酒造りに良い水が湧くとも思われませんが、中島屋や伊豆屋はどのようにして成長したのでしょうか。