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手旗信号

約75年前、少年時代の覚え⑤(大東亜戦争 昭和16年~20年)

~学童疎開~

 いつもお腹をすかせていたが、楽しい事もあった。半年に一日、農家を訪問する日を作ってもらっていた。4人位が朝から夕方迄、農家の家族と楽しく団欒させてもらった。わら縄を機械で編むことを教わり、囲炉裏をかこみ腹一杯の御飯を食べたのを懐かしく思い出す。

 当時、群馬県のその農家は、井戸や水道もなく大きな壺(高さ1m60)に家の前の小川より水を汲むそんな生活であった。日頃の勉強は、先生が二人で約40人の生徒を教えていた。

 軍事教練の一貫として手旗信号を習った。2本の紅・白の手旗を両手に持ち片仮名の50音を習い、近くの小学校の校庭で練習した。今でも覚えているが何の役にも立たない。(海上自衛隊は今も使っている)冬は寒く雪も多く降り、竹を切り、竹スキーを作り坂道ですべっては遊んだ。旅館には、温泉プールがあった。一度、高学年の人が泳いだが、はやり眼になり誰も泳ぐ人はいなくなった。ある日三年の同級生のホヅ君より、いじめられて困っているとの相談があった。相手は二人こちらも二人なので戦うことになった。部屋の中での取っ組み合い、その後いじめはなくなった。

坪郷

手旗信号

手旗信号

縄ない機

縄ない機

両方からワラを入れて縄を編む

両方からワラを入れて縄を編む