下松では、温見ダム、末武川ダムが良く知られている。下松市民のほとんどの人はこれらを知っているが、「大谷ダム」について知っている人は意外と少ない。この「大谷ダム」がどのような経緯で作られたのか?
95年前(大正8年)、久原房之助により当時の下松町(現在の下松市)の海岸線周辺を買収し、一大工業地帯(製鉄所・製造所)を作る動きをした。しかし、不景気のあおりを受け、事業はとん挫し、鮎川義介氏や小平浪平氏(日立の創始者)にバトンを渡した。久原氏は、おわびに下松工業高校を寄附して下松を去った。下松の基礎となった大谷ダムは昭和13年に造られたが、下松のダムでは一番古く、産業遺産でもある。現在の所有者は日立、ダムは現在は使われていない。
安全と安心の為にも、大谷ダム周辺を整備し、市民に目を向けてもらおうとの動きが有識者の中で起こっている。
大谷ダムに通ずる道の草刈りや整備を行ない、ダムと周辺を管理し、将来的には記念樹や花畑、ギネスブックに出るほどの長いスベリ台、ハイキングコース、ダムの水を調節し香力蓮を植え花の観賞と蓮の収穫、と夢と思いは広がる。
立地的に大谷ダム地域は、下松市中心より近く下松のハイキング・花畑・公園等で市民の憩いの場になれる要素は充分にある。市民の動きに市の協力を願って、夢を現実にするのに今動き出したばかり。初めは少人数の活動だが、いかに皆さんに賛同をもらい力を結集することができるか、下松パワーを期待したい。夢は現実の第一歩。百里の道も一歩から。
T.T